こんにちは! お寺ジェンヌです。
お正月が終わるとお店には節分関係の商品やポスターが並びだしますね。
節分の頃になるとお寺で有名人の豆まきのニュースが流れます。
有名人が豆まきをすると人が集るし、華やかでいいですよね。
そこで、有名人が豆まきをするお寺を調べて見ました。
そして、私のお寺は浄土真宗本願寺派なので豆まきはしませんが
そもそも、「豆まき」は仏教行事なのか?と不思議に思いました。
そこで、なぜお寺で豆まきをするのかを調べてみました。
節分で有名人が豆まきするお寺はどこ?
成田山新勝寺
豆まきの芸能ニュースで必ず紹介されるのが
千葉県成田市にある真言宗のお寺、
成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)です。
節分会(せつぶんえ)といわれる豆まきの行事が開催されます。
歌舞伎の市川宗家(いちかわそうけ)と縁が深いため
市川団團十郎(いちかわだんじゅうろう)さんが例年参加されています。
他にNHK大河ドラマの出演者など、豪華な芸能人が参加されるようです。
成田山新勝寺の節分会には6万人もの人が集るそうです!
みなさん、豪華な有名人ゲストがお目当てのようで、
第1回、第2回の豆まき式は大変な混雑が予想されています。
大本山成田山新勝寺
所在地:〒286-0023 千葉県成田市成田1番地
増上寺
東京都南区にある増上寺(ぞうじょうじ)は浄土宗の大本山で
名称は「三縁山広度院 増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)」です。
「節分追儺式(せつぶんついなしき)」という豆まき行事が行われ
本殿前に特設の舞台が設置されます。
例年大相撲の力士の方、スポーツで活躍されている方、芸能人など
多くの豆まきゲストが参加されているようです。
増上寺の豆まきでは小袋に入った福豆が1トンも投げられるそうです。
豆の他、スポンサー企業から提供された物品もまかれるそうで、
ホテル宿泊券、食事券などの当たり券も入っているそうです。
有名人や撒かれる物をお目当てに4,000人以上の人が訪れます。
大本山増上寺
所在地:〒105-0011 東京都港区芝公園4-7-35
増上寺の記事はこちら↓
総持寺
神奈川県横浜市にある總持寺(そうじじ)は曹洞宗(そうとうしゅう)の大本山です。
節分会追儺式(せつぶんえついなしき)で豆まきが行われます。
故 石原裕次郎さんのお墓があるお寺で、石原プロが解散するまでは
豆まきゲストとして石原軍団の面々が登場していました。
他にも豪華ゲストが参加されています。
境内の一番奥にある大祖堂で豆が撒かれます。
法要を見られて豆を受け取れる「一般参列」は定員があり、
当日の並び順で1,500人だそうです。
大本山總持寺
所在地:〒230-8686 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1
浅草寺
東京都台東区にある浅草寺は聖観音宗(しょうかんのんしゅう)の本山で、
山号は金龍山(きんりゅうさん)です。
東京の観光スポットでもある浅草寺は
江戸で初めて大々的な節分行事を行ったお寺だそうです。
例年、浅草に縁の芸能人が豆まきゲストで登場することが多いようです。
本堂の東側に特設舞台が設置され、例年1万人の人々が訪れるそうです。
「観音様の前に鬼はない」そうで「鬼は外福は内」ではなく
「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)福は内」と言うのがならわしとのことです。
聖観音宗浅草寺
所在地:〒111-0032 東京都台東区浅草2-3-1
池上本門寺
東京都大田区にある池上本門寺(いけがみほんもんじ)は
日蓮宗(にちれんしゅう)の大本山のお寺です。
節分追儺式(せつぶんついなしき)が行われます。
故 力道山さんのお墓があるためプロレスラー、格闘家、能人などが
豆まきゲストとして登場するようです。
格闘技ファンは見逃せない豆まきイベントですね。
境内に大舞台が設置され、1万人以上の人々で大混雑するようです。
日蓮宗大本山池上本門寺
所在地:〒146-8576 東京都大田区池上1-1-1
ここにあげたお寺はテレビのワイドショーなどで、私が良く目にした記憶のあるお寺さんです。
どのお寺さんも豪華な豆まきゲストで、水面下でゲストの争奪戦が繰り広げられているのかな?
なんて空想を巡らせてしまいました。
なぜお寺で豆まき?
節分とは?
まず、節分について調べました。
節分とは「季節の節目となる日の前日」のことだそうです。
暦の上で1年に節目となる季節が4つあります。
それが春、夏、秋、冬です。
その最初の日が「季節の節目となる日」で
それぞれ立春、立夏、立秋、立冬になります。
それぞれの前の日が「節分」でした。
しかし、昔は冬から春になるときが1年の境と考えられ、
立春がもっとも大切にされていたそうです。
やがて節分は立春の前の日だけを指す言葉になったようです。
立春が成立するのは、「冬至」と「春分の日」の中間とされるので
年によって日にちがずれることがあるそうです。
ちなみに2024年の立春は2月4日なので節分は2月3日になります。
でも、2025年の立春は2月3日に早まり、節分は4年ぶりに2月2日になるそうです。
長い冬の間、春が待ち遠しいのは現代の私たちも同じですね。
「立春」が一番大切にされてのもわかる気がします。
昔の人も私たちも、春が待ち遠しい気持ちは変わらないのですね。
豆まきの由来
豆まきは、古代中国から伝来した「追儺(ついな)」という行事に由来しているそうです。
平安時代の追儺(ついな)では、疫病の鬼に扮した舎人(とねり)を、
方相氏(ほうそうし)という鬼払いの役人が
桃の弓と葦の矢で魔物を追い払っていたそうです。
中世の陰陽道(おんみょうどう)では、
年越しにあたる節分の夜は1年の中で陰から陽へと秩序が最も変わる日とされ、
普段姿を隠している鬼や魔物が出現しやすいと考えられていたようです。
「追儺(ついな)」の桃の弓と葦の矢が生命力を意味する「豆」に変わり
室町から江戸時代に庶民に広がったといわれています。
社寺では「豆打ち」、庶民は「豆まき」として行われるようになっていきました。
鬼は邪気の象徴です。
「おに」という日本語は「陰(おん)」に由来するといわれているそうです。
「陰」は目に見えない「気」のことで、主に邪気のことをさしています。
また、隠れているこわいものとして「隠人(おんにん)」ということばが
「鬼(おに)」に変化したという説もあるそうで、
人間の力を超えた恐ろしい出来事(災害、病、飢饉など)は
鬼の仕業と考えられていました。
昔から人間を苦しめてきた災いを鬼にみたてて、
厄払いの意味で豆まきを行ったのだと私は思いました。
なぜお寺で豆まき?
なぜ、お寺で豆まきが行われるようになったのでしょうか?
日本の仏教は、奈良時代や平安時代に朝廷と強く結びついていました。
仏教が鎮護国家のための宗教として扱われたからです。
新年を迎えるために行われる法要の「修正会(しゅしょうえ)」や「修二会(しゅにえ)」が
国の安寧(あんねい:社会が穏やかで平和なこと)や繁栄を願う意味もあったので、
宮中における行事の「追儺(ついな)」と混じり合ったものと考えられています。
現在見られる「豆まき」は、中国由来の習俗の影響が多く、
本来は仏教とは関係のないものでした。
それが、日本の宮中において次第に混じり合い、
現在のように節分にお寺でも豆まきが行われるようになったのではないかと思います。
豆まきを行わない宗派がある理由は、
その宗派が奈良時代や平安時代の宮中との関わりが薄かったり、
豆まきが仏教由来の行事ではなかったからではないでしょうか。
そうなると私のお寺は浄土真宗が豆まきをしない理由がよくわかります。
仏教行事ではないし、浄土真宗の教えと豆まきは合わないのです。
宗祖親鸞聖人は「承元の法難」で越後の国に流罪となっているので
宮中との関わりは薄いです。
本来豆まきは仏教の行事ではありませんでしたが
災いを払い、平穏な日々が続くことを願って
昔から長く続いている行事で、長い間に仏教とも混じり合ったものだとわかりました。
国や人々の平穏のためにお寺でも豆まきが行われるようになったのですね。
今年は災いが起こらないようにという願いが特に強くなるのでは
ないかと思います。
私もそんなことを願いながら有名人の豆まきのニュースを
見るのではないかと思います。
お寺の行事に関する記事があります↓
お読みいただき、ありがとうございました。
南無阿弥陀仏
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