紫式部ゆかりの石山寺と信長と戦った石山本願寺は同じお寺?関係は?

お寺紹介

今年の大河ドラマ「光る君へ」の主人公は紫式部です。
先日の放送で紫式部ゆかりのお寺、石山寺が紹介されました。

しかし、紫式部ゆかりの石山寺と

信長と戦った浄土真宗のお寺の「石山(いしやま)本願寺」と
混同されている方がいらっしゃるようです。確かに漢字は同じ「石山(いしやま)」ですが・・・。

そこで今日は石山寺と石山本願寺の違いについて調べてみます。

紫式部にゆかりのある石山寺ってどんなお寺?

大河ドラマの中の石山寺

大河ドラマ「光る君へ」では2024年4月24日放送の「おごれるものたち」で
石山寺が舞台となりました。
吉高由利子さん演じる主人公のまひろ(紫式部)は
当時、都の女性の間ではやっていたといわれる石山詣に
友人のさわに誘われて出かけます。
石山寺までの道中、まひろとさわがはしゃぐ姿がかわいらしかったです。

そして、石山寺でで蜻蛉日記(かげろうにっき)の作者 藤原寧子と出逢います。
まひろも藤原寧子に憧れていて、
自分もいつか物語りを書きたいと思ったのかもしれないシーンでしたね。

石山寺は滋賀県大津市にある!

石山寺は滋賀県大津市の瀬田川(せたがわ)のほとりの
伽藍山(がらんやま)の麓にあります。

境内の至る所に天然記念物の硅灰石(けいかいせき)が突出しいます。
境内は巨大な硅灰石の上に建てられていて、このように
雄大な硅灰石はとても珍しいのだそうです。
石山寺という寺号の名前の由来にもなっているようです。

東寺真言宗の大本山で、
西国三十三所観音霊場の第十三番札所のお寺です。
安産・福徳・厄除・縁結などのご利益があると言われていて、
現在も多くの方の信仰を集めているそうです。

奈良時代に東大寺の別当 良弁僧正(ろうべんそうじょう )が創建した寺院と
伝えられているそうです。
平安時代に真言宗の寺院になったそうです。
このころから貴族や女流文学書が参拝する「石山詣(いしやまのうで)」が
盛んになっていたようです。
「光るの君へ」のような装束の貴族や女性がちが
お参りしていたのだと思うと
私は楽しくなりました。

数多くの国宝・重要文化財を所蔵しているお寺でもあり、
とても見所がたくさんあるお寺です。

紫式部の足跡を求めて私も訪れてみたいです。

石山寺についての記事を書いています。↓

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信長と戦った石山本願寺は大阪にあったお寺

石山本願寺も大河ドラマに関係あった?

石山本願寺は2023年の大河ドラマ「どうする家康」にちょっと関係しています。
直接登場はしませんでしたが
家康が三河一向一揆で戦った空誓上人(くうせいしょうにん)が
加茂郡菅田和(豊田市)へ逃れ、さらに大石山本願寺に逃れたとも
いわれているそうです。
石山本願寺は現在の大阪城の辺りにありました。

石山本願寺はその土地の利便性から信長が石山本願寺の土地を欲しがり
浄土真宗本願寺の勢力と信長が争った「石山合戦(いしやまがっせん)」の発端となる
お寺です。
11年あまりの戦いの後、和睦により信長に明け渡されました。
信長の死後、政権を取った豊臣秀吉が石山本願寺のあった場所に
大阪城を建築ています。

石山本願寺は大阪城の辺りにあったお寺

石山本願寺は現存していません。
その後継のお寺が京都にある本願寺(通称:西本願寺)です。
本願寺は鎌倉時代の僧侶 親鸞聖人が宗祖の浄土真宗のお寺です。

石山本願寺は、浄土真宗の中興の祖(ちゅうこうのそ) 蓮如(れんにょ)上人によって
建立されます。

蓮如上人が1496年(明応5年)摂津国に築いたのが大坂御坊(おおさかごぼう)です。
当時、浄土真宗の本山、山科(やましな)本願寺は京都の山中にあり
布教にはやや不便だったようです。
そこで蓮如上人は交通の便がよく、人や物資が集る大坂に
寺院を建てることを思い立ったようです。

1532年(天文元年)に山科本願寺が炎上したため<
本山の機能を大坂御坊(おおさかごぼう)に移転したことから
「石山本願寺(いしやまほんがんじ)」と呼ばれるようになったようです。
その後、本願寺は戦国大名にも匹敵するほどの力を持つようになります。

一方、天下統一を目指していた織田信長(おだのぶなが)は
軍事、政治、経済全ての面で石山本願寺の土地が重要な場所になると考え、
手に入れたいと思います。

本願寺第11世 顕如上人(けんにょしょうにん)に無理難題を言って
石山本願寺を明け渡すよう要求します。
これが「石山合戦(いしやまがっせん)」と呼ばれる信長と本願寺との
戦いの始まりです。
1570年(元亀元年)から11年間にわたる苛烈(かれつ)な戦いとなりました。

最終的に正親町(おおぎまち)天皇の勅令により和議がなって
顕如上人(けんにょしょうにん)が
石山本願寺を退去しました。
その後、石山本願寺は焼失します。

織田信長が本能寺の変で亡くなった後、
石山本願寺の遭った場所の条件のよさに目をつけた豊臣秀吉(とよとみひでよし)が
大坂城を築きました。

蓮如上人(れんにょしょうにん)が石山の地の利便性に目をつけたことが、
現在に至るまでの大阪の繁栄へと繋がっています。
蓮如上人は本当に先見の明のあった方だったのだと
私は思ってしまいました。

現在、石山本願寺のあった正確な場所はわかっていません。
秀吉による大坂城建設、
大坂夏の陣ののち徳川大坂城建設による大規模な工事により、
石山本願寺の正確な場所は不明となってしまいました。

ちなみに、織田信長との石山合戦が浄土真宗が西と東に
分れた理由でもあると私は思っています。

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石山寺と石山本願寺は宗旨も時代も全く違うお寺!

紫式部ゆかりの石山寺は
天平19年(747年)に聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願により
創建されました。

一方、石山本願寺は明応5年(1496年)9月に
浄土真宗本願寺の大坂御坊(おおさかごぼう)として
建設が開始さました。

石山本願寺の建設が始まった時点で
石山寺は既に750年ほどの歴史があります。

この2つのお寺は、
たまたま地名にちなんだ名前が「石山(いしやま)」だっただけ
ということになります。
前述したとおり、石山寺と石山本願寺は
創建された時代も宗旨も場所も全く違う別のお寺です。

今回、名前が同じ2つのお寺を調べましたが
なかなか面白かったと私は思いました。
もし、この2つのお寺に関係があったら
今と歴史が変わっていたのかもって思ったら
楽しくなりました。

いかがでしたか?
今日はい石山寺と石山本願寺について調べてみました。

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お読みいただき、ありがとうございました。
南無阿弥陀仏

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