どちらも京都駅からほど近くにあります。
修学旅行で訪れたことのある方もいらっしゃると思
ちなみにお寺ジェンヌは浄土真宗本願寺派の僧侶なので、
なぜ西本願寺と東本願寺なのか?
本願寺はなぜ東西に分れた?
東本願寺は真宗大谷派の本山で通称「お東さん」。
元は同じ本願寺でした。
なぜ西と東に別れたのでしょうか?
石山(現在の大阪城のあたり)
その後、本願寺は戦国大名にも匹敵する力を持ちます。
この石山本願寺の場所が欲しくて、
石山本願寺を明け渡すよう要
織田信長は石山本願寺を攻め落とす事ができず、
兵糧攻めを始めます。
石山本願寺に和睦(わぼく)を申し入れます。
最終的に顕如上人が教如を義絶(ぎぜつ:肉親・君臣の縁を切ること)し、
和睦を受け入れ、
本願寺を滅ぼそうとしますが、
明智光秀(あけちみつひで)は「敵は鷺の森の本願寺に非ず、本能寺にあり」
本能寺の変を起こし、信長は自刀に追い込まれます。
溝は深まるば
顕如上人は三男准如に12世を譲る事を認めます。
石山本願寺の遭った場所に秀吉は大阪城を作りました。
破れた教如は隠居させられます。
豊臣秀吉の死後、
教如は徳川家康に接近します
徳川家康は一向一揆で命を落としかけた苦い経験があり、
現在の場所に東本願寺を作り、12世となりました。
私は本願寺が日本の戦国時代に意外と関わりが深いのだと思いました。
学生のころ、日本史の時間で習ったような気はしますが
その頃はあまり興味がなくて真剣に勉強していませんでした。
しかし、今回調べてみて、とても面白いと思いました。
明智光秀が本能寺の変を起こしていなければ
今頃本願寺はなかったかもしれないと思うと、興味深かったです。
先見の明があった方だと思いました。
織田信長、豊臣秀吉が欲しがるような場所に石山本願寺を再建していたので!
ただ、それが本願寺の東西分裂の発端となってしまうことになるとは
蓮如上人もお浄土からご覧になって驚かれたことでしょう。
西本願寺と東本願寺、仲は悪い?
徳川家康が日本最大の宗教団体となっていた浄土真宗の力を弱めたかったために
東西本願寺が対立するように画策したことなどから
江戸時代初期は西本願寺と東本願寺は対立し、
お互い敵対するような関係でした。
幕末動乱期には西本願寺は倒幕(とうばく)派、東本願寺は(さばく)派に分れます。
全て本願寺派(西本願寺)だったそうです。
徳川幕府の影響のようです。
1617年本願寺の別院が、江戸浅草にできましたが、明暦の大火で消失しました。
本願寺派別院の再建をしたかったのですが、
再建のため江戸幕府から与えられた土地は当時は海でした。
そこで、海を埋め立て土地を築き本堂を建立したことが
「築地(つきじ)」という地名の由来のようです。
海を埋め立てて築造されたのが別院が現在の築地本願寺です。
蛤御門(はまぐりごもん)の変では
敗走する長州兵を保護して倒幕(とうばつ)派を助けます。
これに怒った京都守護職・松平容保(まつだいらかたもり)が
新撰組を西本願寺に乗り込ませています。
維新後は、佐幕(さばく)派だった東本願寺が苦しい立場になります。
しかし、西本願寺と歩調を合わせ、新政府に戊辰戦争(ぼしんせんそう)の
軍資金を出資するなど、償いの姿を見せ生き残ることができたそうです。
時代の変化に応じて西本願寺、東本願寺の関係も変化したようですね。
西本願寺と東本願寺、現在も対立?
西本願寺と東本願寺の対立について
現在はお互いの交流もあり、仲は良好です。
私たちのような末寺でも浄土真宗本願寺派(西本願寺)の法話の講師を
真宗大谷派(東本願寺)の方からしていただくことがあります。
(逆ももちろんあります。)
しかし、代表者の交流はなかったようです。
2023年は宗祖親鸞聖人御誕生850年、翌2024年は立教開宗800となるため
2023年の慶讃法要がお勤めされました。
この慶讃法要を記念して、読売新聞社の呼び掛けにより、
浄土真宗本願寺派(西本願寺)、大谷光淳(おおたに こうじゅん)門主と
真宗大谷派(東本願寺)、大谷暢裕(おおたに ちょうゆう)首の対談が行われ、
3月24日、読売新聞全国版の朝刊に掲載されました。
宗派の象徴的存在の門主・門首による対談は80年ぶりだったそうです。
門主・門首の対談が80年も行われていなかったのは意外でした。
末寺は東西の交流があったのでトップの方も交流があると思っていましたが
違いました。
本願寺は東西に分裂していますが、
実は浄土真宗はのほかにも宗派があります。
10の宗派があり、真宗十派(しんしゅうじゅっぱ)と言われています。
この十派で作る「真宗教団連合」という団体もあります。
真宗十派については後日投稿したいと思います。
いかがでしたか?
本願寺はなぜ東西に分れた?仲悪い?について解説しました。
西本願寺と東本願寺についての記事は他にもあります。↓
お読みいただき、ありがとうございました。
南無阿弥陀仏
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