親鸞聖人の御誕生850年の意味や行事について!立教開宗800年って?

親鸞聖人の御誕生850年の意味や行事について!親鸞聖人立教開宗800年って? 浄土真宗豆知識

こんにちは!お寺ジェンヌです。
お寺ジェンヌは浄土真宗本願寺派(じょうどしんしゅうほんがんじは)の寺嫁で
僧侶です。(ペーパー坊主ですが・・・)

今年、2023年は浄土真宗にとって記念の年です。
何の記念かと言うと
浄土真宗の宗祖(しゅうそ)、 親鸞聖人(しんらんしょうにん)の生誕850年の年です。
そして、翌年の2024年は浄土真宗立教開宗(りっきょうかいしゅう)の年です。
その2つを記念して今年真宗十派では記念の法要をお勤めしています。

今日は親鸞聖人生誕850年、立教開宗800年について調べてみました。

親鸞聖人生誕850年

今年、2023年は親鸞聖人の生誕850年の年にあたります。
親鸞聖人は承安3年4月1日(グレゴリオ歴1173年5月21日 )にご誕生になりました。
父は藤原氏の流れをくむ日野有範(ひのありのり)、母は吉光女(きっこうにょ)と
伝えられますが、母についてはくわしくはわかっていないようです。
生誕の地は京都伏見区日野西大道町(日野誕生院内)とされ
近くに産湯井(うぶゆいど)やえな塚(えな(へその緒・胎盤)を
埋めたと伝えられる塚)も残っているそうです。

幼い頃にご両親と死別され、養和元年(1181)9歳の春、
伯父の日野範綱(ひののりつな)にともなわれて、
慈円和尚(じえんかしょう)のもとで
出家・得度をされ、範宴(はんねん)と名のられました。
得度のために慈円和尚のもとを訪れた際に
夜だったため、慈円和尚が「得度は明日にしよう」と仰ると和歌を詠まれました。

明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
「今、美しく咲いている桜は、明日もまた同じように咲いてることと思われるでしょうが、夜更けに嵐が吹いて桜の花を散らすことがないと言えましょうか(いや、言えはしない)」

「明日には気持ちが変ってしまうかもしれない。
明日のことはわからないから今、得度を受けさせてほしい」と
自分の命を桜に例えて得度をしたいと懇願したそうです。
感銘を受けた慈円和尚(じちん かしょう)は、
その晩のうちの得度(とくど)の儀式をしてくださりました。
その後、20年間比叡山で修業をされます。
しかし、いくら厳しい修行をしても悟りに至ることができませんでした。

29歳のとき、比叡山を降り、聖徳太子(しょうとくだいし)によって創建された
六角堂(どっかくどう)に100日間の参籠(さんろう)をされました。
尊敬する聖徳太子に今後の歩むべき道を仰ぐためです。
95日目の明け方、親鸞聖人は太子の本地である救世観音(きぜかんのん)から
夢告(むこく)を得られ、東山の吉水で本願念仏の教えを説かれていた
法然聖人(ほうねんしょうにん)の草庵を訪ねられました。
法然上人は、「ただ念仏もうしなさい」とお説きになっていました。
親鸞聖人は、「この教えこそ、すべての人に開かれている仏道である」と
念仏者として歩み出されました。

法然上人を師と仰ぎ、法然上人のもとで約6年間過ごされました。
その間に、法然上人から主著『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)
を写すことをを許されました。

法然聖人の開かれた浄土教(じょうどきょう)に対して
旧仏教教団から激しい非難が出されました。
親鸞聖人が35歳の時の年の承元(じょうげん)元年、
専修念仏(せんしゅうねんぶつ)が停止されました。
法然聖人は土佐へや親鸞聖人は越後に流罪となりました。
これを承元の法難(じょうげんのほうなん)と言います。
そしてこれを機に「愚禿親鸞(ぐとくしんらん)」と名のられ
非僧非俗(ひそうひぞく)の立場に立たれました。

このころ親鸞聖人は恵信尼(えしんに)さまと結婚し、
男女6人の子女をもうけられていましたが、
親鸞聖人42歳の年の、建保(けんぽ)2年、妻子とともに越後から関東に赴かれました。
自ら信じる本願念仏を伝え、多くの念仏者を育てられました。

親鸞聖人63歳のころの嘉禎(かてい)元年、関東20年の教化を終えられ、
妻子を伴って京都に帰られました。
弘長(こうちょう)2年11月28日(新暦1263年1月16日)
親鸞聖人は90歳で往生の素懐(おうじょうのそかい)を遂げられました。

立教開宗800年って?

親鸞聖人が関東に赴かれ、常陸(茨城県)の小島や稲田の草庵を中心として、
本願念仏を伝え、念仏者を育てられました。

親鸞聖人は元仁(げんにん)元年ごろ、浄土真宗の教えを体系的に述べられた
「顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)」を著されました。
※「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」と略称されることが多いです。

関東20年の教化を終えられて、妻子を伴って京都に帰られたのは
『教行信証』の完成のためともいわれています。
京都では晩年まで『教行信証』を添削されたり
「和讃」など数多くの書物を精力的に著されました。
また、関東から訪ねてくる門弟たちに本願の教えを伝えられたり
書簡で他力念仏の質問に答えられました。

親鸞聖人が「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」をほぼ完成させた
元仁(げんにん)元年(1224)年を、
浄土真宗が開かれた立教開宗の年と定めています。
来年2024年が立教開宗800年の年に当たります。

親鸞聖人生誕850年、立教開宗800年を記念して真宗十派は
各宗派で慶讃法要をお勤めしまし。
お寺ジェンヌのお寺は浄土真宗本願寺派です。
浄土真宗本願寺派の本山、西本願寺では
親鸞聖人生誕850年、立教開宗800年を記念して
3月29日から5月21日まで慶讃法要をお勤めしました。
また、それに合わせたくさんのイベントも開催されました。

親鸞聖人がお生まれになった時代は昨年のNHH大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」と
同じ位の年です。

親鸞聖人のみ教えが800年受け継がれていると言うことは
人々の心に響くものがあり、多くの方が共感しているからだと思います。
親鸞聖人がご誕生した頃は戦乱、疫病、天変地異など大変なことがたくさんあった時代です。
なんだか現代と共通する点がたくさんあるように思います。
今一度 親鸞聖人のみ教えを学び親鸞聖人のみ教えにふれてみたいと思いました。
蓮如上人(れんにょしょうにん)も「仏法(ぶっぽう)はただ聴聞(ちょうもん)に極(きわ)まれり。」と語られています。
コロナが5類に移行し、行動制限もなくなりました。
親鸞聖人生誕850年を機会にお聴聞(ちょうもん)する回数も増やしていきたいと思いました。
みなさんもぜひ親鸞聖人のみ教えにふれたみてください。

いかがでしたか?
親鸞聖人生誕850年、立教開宗800年について調べてみました。

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