本能寺と本能寺跡地との違いや歴史を簡単に!何回燃えた?文字も違う?

本能寺と本能寺跡地との違いや歴史を簡単に!何回燃えた?文字も違う? お寺紹介
「本能寺」といえば「本能寺の変」の舞台となったお寺として有名です。
人気のある戦国武将、織田信長が本能寺の変で自害し、歴史の転換点となる事件なので、
歴史好きではなくても「本能寺」は必ず耳にしたことのある寺号(じごう:お寺の名前)でしょう。
しかし、本能寺の変以外の事はあまり知られていません。
実は本能寺と本能寺跡地があるのですが、そのこともあまり知られていないようです。
もちろん私も知りません。
そこで、本能寺の歴史などについて調べてみました。

本能寺の歴史、簡単に解説、何回燃えた?

本能寺を開いたのは誰?

本能寺は法華宗本門流の大本山です。
現在も1年を通して法要などをお勤めされています。
また、京都の街中にあり観光客も沢山訪れているお寺です。
本能寺を開山したのは室町時代の法華宗の僧、日隆聖人(にちりゅうしょうにん)です。
1415年(応永22年)、油小路高辻と五条坊門の間に法華宗本門流の大本山として
本應寺(ほんのうじ、後に本能寺)を建立しました。
現在の京都市下京区の辺りだそうです。
「南無妙法蓮華経」を多くの人々に伝えるため、
山中ではなく街中にお寺を建てたそうです。
私が思うに、日隆聖人(にちりゅうしょうにん)は
ご自分が大切だと思ったことを多くの方に広め、
たくさんの方にも幸せになって欲しかったのでしょう。
そのために考えを巡らせ山の中ではなく街中を選ばれたのだと思います。
当時も京都は都でしたし、人口も多かったでしょうから、
布教活動するには街中がいいということだったのでしょう。
私ではなくても、誰でも気がつきますね!

本能寺は何回燃えた?

本能寺は再建復興が繰り返されて現在に至っています。
「本能寺の変」を含め4回の火災で焼失。
移転もふくめ7回も再建され、現在にいたります
7回も再建するなんて!
関係者のみなさまのご苦労されたのではないでしょうか。
開山(1回目の建立)

能寺の創建者の日隆聖人(にちりゅうしょうにん)
妙本寺4世(4代目)・日霽を師とし教えを受けました。

しかし、妙本寺5世となった月明と法華経の解釈を巡って対立します。
1415年、日隆が妙本寺を去り、本應寺(ほんのうじ)を創建します。
しかし、1418年、月明の命により妙本寺の教徒によって本應寺は
破却(はきゃく:メチャメチャに壊すこと)されます。
2回目の建立
1429年、京都に戻った日隆は小袖屋宗句の援助により
内野(現在の西陣あたり)に本應寺を再建します。
3回目の建立
1433年、如意王丸から土地(六角大宮の西や四条坊門の北)の寄進を受け、
お寺を建立しました。
このときに寺号をあらため「本能寺(ほんのうじ)」としました。
その後、法華宗の信仰が人々へ浸透し、
本能寺は法華経弘通の霊場として
「題目の巷」と呼ばれていたそうです。
しかし、1536年、天文法華の乱(てんぶんほっけのらん、てんもんほっけのらん)
延暦寺の焼き討ちに遭って焼失してしまいます。
※日蓮(にちれん)宗を、比叡山(ひえいざん)をはじめとする諸宗が攻撃を加えた宗教戦争。
4回目の建立
日承上人が本能寺に入寺して8世となり、
1545年、四条西洞院に本能寺を建立します。
しかし、1582年6月2日、信長が本能寺を
上洛中の宿所としていたときに明智光秀の率いる軍勢に襲われた本能寺の変で、
またしても焼失します。
5回目の建立
1591年、豊富秀吉の指示により現在の中京区下本能寺前町へと移転します。
1592年、日衍聖人により再建されますが
1788年、天明大火でまた焼失してしまいます。
6回目の建立
1840年、日恩聖人(にちおんしょうにん)により再建したものの
1864年に蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)で焼失。
※京都で起きた武力衝突事件
7回目の建立

1928年、現在の本堂が再建されます。

本能寺の歴史は再建の歴史とも言えるかもしれません。
昔は防火設備もほとんど無かったので火災に遭っているお寺は
けっこうあったようです。
私のお寺も過去に火災に遭っているようです。

しかし、本能寺が4回も焼失していることに私は本当に驚きました。
なぜなら、私はお寺を建てるのはとても大変なことだと思っています。
経済的支えと、意思の強さがないと建てられないからです。
それなのに、移転も含め7回も建て直されているということは
多くの方から大切にされていたお寺で、
なおかつ地域を支えているお寺なのだと思います。
私もそんなお寺にしたいです。

本能寺の文字も違う?

本能寺は1415年から1432年までは「本應寺」と書きました。
1433年から現在まで「本能寺」を使用しています。
その理由は「本門八品相応能弘之寺」の言葉より
本応寺・本能寺という寺名にしたとのこと。
しかし、現在、本能寺では「能」という字を
現在では使われていない文字に替えて使用しています。
それはなぜかというと、
本能寺は「本能寺の変」をふくめ4度も火災にあっています。
そのため「能」の字の匕(火)を嫌って「能」の文字を替えたのだそうです。
匕の2つ重なっている部分を「去」に替えた 「䏻」 を使っています。
やはり4回も火災に遭っているので、
文字を違う字にしてまで火を避けたいお気持ちは
私にも痛いほどわかります。
「能」の字の匕(火)を「去」に替えてまで「火が去る」ことを願ったのでしょう。
みなさんも本能寺の公式ホームページでご覧になってください。

本能寺と本能寺跡地との違い

実は、現在の本能寺の場所は「本能寺の変」のときの場所とは違っています。
1582年6月2日の未明に、
明智光秀が本能寺の織田信長を急襲したという「本能寺の変」で
信長が火を放って自害した本能寺は、現在地(寺町通御池)ではなく
四条堀川あたりといわれています。
「本能寺の変」当時の本能寺は要塞とも言われるような
お城のような広大なお寺だったそうです。
またお寺の周りを高い塀と深い堀で囲い、
とても安全なつくりになってたようです。
信長は、そんな立派で安全な本能寺が気に入っていて宿にしていたのに
明智光秀もの軍勢に襲われ、本能寺は焼失しました。
現在の本能寺は、「本能寺の変」のあとに
豊臣秀吉が寺町通御池に移築したものです。
現在、油小路通蛸薬師には、「本能寺跡」を示す石碑が建立されているそうです。
蛸薬師通小川には「此附近 本能寺址」の石碑も残されています。
このあたりには「本能寺町」や「元本能寺町」という町名もあり、
広大な寺域だったため、広く「本能寺」の名前が残っています。
歴史を感じさせますね。
本願寺が現在の寺町通御池に移築後、
跡地には、大名たちが邸宅を構えていたそうです。
本能寺の変のあった跡地には、現在京都市立堀川高等学校本能学舎や
京都市本能特別養護老人ホームなどの複合施設がたれられています。本能寺跡(ほんのうじあと)
住所:京都市中京区蛸薬師通油小路東入ル
阪急烏丸駅から徒歩10分
いかがでしたか?
本能寺は7回も再建されているお寺でした。
現在の本能寺の場所は「本能寺の変」のときと違うこともわかりました。
そして、跡地には現在も地名で本能寺の名残が残っています。
私は「本能寺の変」があまりにも有名でほかの歴史を知りませんでした。
しかし、私はこの投稿を書いたことで本能寺が
とても多くの方がご苦労をされて守ってこられたお寺だということがわかりました。
現在も、多くの方が訪れる人気の寺院であり、
京都のシンボル的な寺院だと思います。
私も京都に行った際には訪れてみたいです。
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