こんにちは!お寺ジェンヌです。
現在放送中のNHK大河ドラマ「どうする家康」
歴史上の出来事なので、先のストーリーがわかってしまいます。
最近、話題になっているのは家康の正妻である瀬名(せな)の今後の展開ですが
史実としては瀬名(築山殿)は悲劇的な最期を遂げます。
今から「築山事件」がどのように描かれるのかネット上でザワついていますよね。
これからどんなふうに「築山事件」が描かれるのでしょうか?
お寺ジェンヌとしても気になります!
そして、寺嫁としてはどんなお寺に瀬名(築山殿)のお墓があるのかも気になります!!
そこで今回は瀬名(築山殿)のお墓のあるお寺のこと、瀬名(築山殿)のことを調べてみました。
築山殿(瀬名)のお墓、月窟廟がある西来院は浜松にある
現在放送中のNHK大河ドラマ「どうする家康」で
有村架純さん演じる築山殿(つきやまど:瀬名(せな))。
とても聡明で愛らしく描かれていますが
今後、築山殿(瀬名)が悲劇的な最期を迎えることになるのは史実として伝えられています。
寺嫁のお寺ジェンヌとしては、築山殿(瀬名)のお墓はどんなお寺なのか?
気になったので調べてみました。
築山殿(瀬名)のお墓はどこのお寺にあるのでしょうか?
築山殿(瀬名)のお墓、月窟廟(げっくつびょう)は西来院(せいらいいん)にある
静岡県浜松市中区にある高松山(こうしょうざん)西来院(せいらいいん)に
築山殿(瀬名)のお墓があるそうです。
高松山(こうしょうざん)とは山の名前ではなく「山号(さんごう)」です。
「山号(さんごう)」とは仏教の寺院に付ける称号のことです。
西来院(せいらいいん)は曹洞宗の寺院です。
普済寺(ふさいじ)を開いた華蔵義曇(げぞうぎどん)和尚の13人の弟子の1人、
月窓義運(げっそうぎうん)禅師が正長元年(1428年)に開山しました。
本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)
墓苑には築山殿(瀬名)のほか、家康の異父弟・松平源三郎康俊、
江戸時代の浜松女流歌人・杉浦真崎、森繁子などの墓があるそうです。
案内看板が設置されています。
西来院
曹洞宗、高松山(こうしょうざん)と号し、寒巌(かんがん)十三派中月窓派(げっそうは)と称した。
月窓義運禅師(げっそうぎうんぜんじ)が正長元年(一四二八)に自力開創し、本尊は釈迦牟尼仏。
長藤の寺として親しまれている。
墓苑には徳川家康の正室・築山御前(つきやまごぜん)の廟堂(月窟廟(げっくつびょう))をはじめ、家康の異父弟・松平源三郎康俊、江戸時代の浜松女流歌人・杉浦真崎、森繁子などの墓がある。
戦国乱世の悲劇の女性築山御前は天正七年(一五七九)佐鳴湖畔におき数奇な運命のもとに散華(さんげ)した。三十八歳。法名は清池院殿潭月秋天大禅定法尼(せいちいんでんたんげっしゅうてんだいぜんじょうほうに)。戦災のために消失した廟堂は昭和五十三年の四百年回忌に復原された。
境内の森は野鳥の楽園で、美しい景観を呈している。
松浜市
廟堂は戦争で消失しているんですね。
それを復原されたということは、お寺の方や、地域の方々が大切に守ってこられていたことが
うかがえます。
歴史があって、有名な方のお墓があってうらやましいと思ってしまうのは
寺嫁の私だけでしょうか?
しかし、維持、管理も大変でいらっしゃると思います。
いつかお参りに行ってみたいです。
築山殿(瀬名)のお墓のある西来院(せいらいいん)の御朱印は?
御朱印の取り扱いはないようです。
お寺の場合、宗旨によって御朱印のないとことがあります。
また、御朱印のある宗旨でもお寺によっては授与していない場合もあるので
事前に確認してください。
築山殿(瀬名)のお墓のある西来院(せいらいいん)へのアクセス、駐車場情報
西来院(せいらいいん)へのアクセス
住所:静岡県浜松市中区広沢2丁目10-1
交通:浜松駅から遠鉄バス「鹿谷町南」バス停下車 徒歩8分
駐車場:参拝者用の駐車場はあるようですが、静岡県観光公式サイトの情報では
「駐車場なし」となっていました。
たくさんは駐車できないのかもしれないので周辺の駐車場を
確認しておいた方がよいかもしれません。
お参りに行ったときに本堂で法要などの行事をお勤めされていることもあると思いますので、
そんなときは本堂近くで大きな声でおしゃべりをしないようにしていただきたいです。
マナーを守ってお参りをされてください。
また、閑静な住宅街の一角にあるとのことなので、お車で行かれる場合は
歩行者にも注意して安全運転でお願いします!
築山殿(瀬名)の大刀洗の池って?
西来院(せいらいいん)の近くには瀬名(築山殿)を斬首した刀を洗ったと言われる
「大刀洗の池(たちあらいのいけ)」があったそうです。
今は埋め立てられてしまいました。
池から少し離れた浜松医療センターの駐車場に、大刀洗の地を示す石碑と説明板が
立ってたそうですが、現在は工事中のため、令和6年(2024)1月まで立ち入り禁止とのことです。
この時代は女性まで首を切られ、証拠として権威者に見せていたのでしょうか?
長く苦しまなくてもよいように、首を切り落としたのか・・・
どちらにしても、築山殿(瀬名)の寂しさ、無念さを想像すると切なくってしまいます。
家康は戦国時代を終わらせましたが、その陰で築山殿(瀬名)にような女性もいたのだと思うと
感慨深いです。
こちらも訪れてみたいと思いました。
大刀洗の池
住所:静岡県浜松市中区富塚町328
交通:JR浜松駅から遠鉄バス「鴨江医療センター」行き「医療センター」バス停下車すぐ。
駐車場:なし
築山殿(瀬名)ってどんな女性? 家康との仲は?
大河ドラマなどでは「瀬名」と呼ばれていますが、実名は不明なのだそうです!
一般的な呼び名は「築山殿」、「築山御前」で、築山の由来は岡崎市の地名。
『岡崎東泉記』という史料に記載されており、岡崎市久右衛門町であったとされ、
築山殿はそこに独立した屋敷を構え、居住したとみることができるそうです。
また、誕生日なども不明の謎の多い女性です。
父は、今川義元の重臣・関口親永(せきぐちちかなが)、母は義元の妹(叔母だったなど諸説あり)で、今川義元のということになります。
色白の美人だったと伝えられ、由緒正しい家で、何不自由なく育ちました。
瀬名は今川家の人質として駿河で暮らしていた16歳の家康(当時は元信)と結婚します。
の年齢は家康と同い年、年上など諸説あります。
家康は築山殿(瀬名)と結婚したことで、義父の親永が後見人となり、義元の直臣となります。
そして初陣に臨み、見事な戦いをおさめます。
瀬名は永禄2(1559)年、嫡男(後の信康)を出産、翌年にも、亀姫を出産しました。
駿府城下で瀬名と家康は、2人の子どもに囲まれ、親子水入らずの生活を送ります。
けれども、築山殿(瀬名)の平穏な幸せは、亀姫誕生の年に起きた桶狭間の戦いでうち砕かれます。
長くなるので途中端折りますが、
桶狭間の戦いで今川が敗れ、家康が信長と同盟を結んだことを発端に、築山殿(瀬名)の悲劇のが始まります。
今川氏真の怒りを買い父、関口親永は正室と共に自害。
永禄10年(1567年)、息子の信康と織田信長の長女・徳姫が9歳同士で結婚しますが、
今川氏の血筋を引く瀬名にとっては受け入れられない結婚だったはずです。
天正7(1579)年7月、徳姫が父の信長へ送った十二箇条からなる長文の書状を送りました。
内容は、夫と姑の悪行を並べ立てたもので、真偽のほどは不確かだったと言います。
愛娘からの訴えに激怒した信長は、家康に信康と瀬名の死罪を強く求め、
同年8月、家康から岡崎城主と嫡男の地位を奪われた信康は、三河の大浜に移され、
9月に遠江の二俣城(ふたまたじょう)で切腹して果てました。享年21歳。
これより先に瀬名は、岡崎城から浜松城へ向う途中で殺害されます。
享年38歳でした。
これまで築山殿(瀬名)は『悪女』だと言われています。
しかし、本当にそうだったのかは謎だと思っています。
徳川の時代になって家康に取っては黒歴史とも言える「築山事件」。
家康を正当化するために瀬名(築山殿)を悪女に仕立て上げたのではないかと言う方もいらっしゃるようです。
もし、悪女だったとしても、築山殿(瀬名)の気持ちもわかるような気がします。
夫の家康が自分の親戚と対立している人と同盟を結べば、当然面白くありません。
それが親戚の怒りを買って父が切腹に追い込まれています。
家康を信頼できないどころか、恨んだり、憎んだりしても当然だと思います。
また、息子の結婚相手は父が亡くなる原因となった相手の娘。
嫁いできた嫁を受入れられなかったのではないかと想像できます。
それでなくても嫁姑の争いは起きやすいのに、
スタート時点から「憎い相手の娘」ですからなおさらです。
今も昔も嫁姑争いは根深かったのだと改めて思いました。
築山事件は信康の嫁で信長の長女、五徳姫が夫、信康と義母である築山殿(瀬名)の
告げ口をした書状で信長の逆鱗にふれたことで起こったとされていますが、
信長と強い関係性を築きたかった家康が今川に縁のある正妻の築山殿(瀬名)が
邪魔になって引き起こしたのではないかとも考えてしまいました。
(五徳姫の書状が発端ではなかもしれないという新説もあるそうです。)
時代背景や立場が違うから「築山事件」が起きてしまいますが、
原因となることは人間関係の悩みで、今も昔も変らないのかもしれませんね。
いかがでしたか?
『どうする家康』に登場する築山殿(瀬名)のお墓のあるお寺、西来院(せいらいいん)についてと
瀬名のことについて書いてみました。
次回の『どうする家康』はどんな展開になるか楽しみに大河ドラマを見たいと思います。
NHK大河ドラマの登場人物ゆかりのお寺についての記事があります。
こちらもどうぞご覧ください。
お読みいただき、ありがとうございました。
南無阿弥陀仏
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