こんにちは!お寺ジェンヌです。
寺嫁の私としては、歴史上の人物のお墓のあるお寺が気になります。
今、一番気になるのは織田信長のお墓のあるお寺です。
なぜならば、NHK大河ドラマ「どうする家康」はもうすぐ「本能寺の変」だからです。
信長の墓は本能寺にあるのでしょうか?
今回は織田信お墓のあるお寺について調べてみました。
信長のお墓はどこ?
織田信長(おだのぶなが)
織田信長は日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名です。
1534年(天文3年)、尾張(おわり)勝幡城(しょばたじょう)で生まれ、
後に那古野城(なごやじょう:現在の名古屋市)で育ちました。
幼名は吉法師(きっぽうし)。父は織田信秀(おだのぶひで)です。
1546年(天文15年)、元服して織田三郎信長と名乗り、
父 信秀の死によって18歳で家督をつぎますが、好んで異様な風体をし、
粗暴な振る舞いが多かったので、「大うつけ者(大ばか者)」と言われました。
26歳の時に、今川義元(いまがわよしもと)の軍25,000をわずか2,000の兵で撃破した
桶狭間(おけはざま)の戦いで武名をあげ、浅井、朝倉を姉川で破って上洛。
15代将軍 足利義昭(あしかがよしあき)を京から追放し、室町幕府を滅亡させました。
続いて、長篠で武田勢を壊滅させ、安土城(あづちじょう)を築き全国支配に乗り出します。
課税を免除した楽市・楽座(らくいち・らくざ)を設け、関所を廃止。商業を発展させました。
外国文化への好奇心が強く、ビロードのマントと西洋の帽子を着用し、
側近には弥介(やすけ)と名付けた黒人もいました。
北陸方面を柴田勝家(しばたかついえ)に、中国方面を羽柴秀吉(はしばひでよし)に、
関東方面を滝川一益(たきがわ かずます / いちます)に攻略させました。
1582年(天正10年)5月、備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)を包囲して
毛利勢と対峙(たいじ)していた秀吉から救援要請を受け、安土城をたって上洛し
本能寺に泊まりました。
6月2日の未明、家臣の明智光秀(あけち みつひで)の襲撃を受けて自刃しました。
享年49歳でした。
私の信長のイメージは
「自分の思い通りにならない者は許さない」というきつい感じのする人です。
信長の性格を表す狂歌(きょうか)として
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」に当てはめられていて、
その短気とされた性格が強調されています。
しかし、幸若舞(室町時代に流行した、舞を伴う語りもの)の
『敦盛』の「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり」
(読み方:にんげんごじゅうねん げてんのうちをくらぶれば
ゆめまぼろしのごとくなり)という一説を好んでいたといわれ、
短い人生を意識して強く生きていたのかもしれないと思いました。
私の信長のイメージも少し変わりました。
織田信長(おだのぶなが)のお墓は全国20ヶ所以上
信長のお墓と伝えられるものは、
供養塔なども含めると全国に20以上もあるそうです。
主なところをご紹介します。
・阿弥陀寺:京都府京都市
・健勲神社:京都府京都市
・今宮神社:京都府京都市
・大徳寺総見院(法要のため秀吉が建立):京都府京都市
・大雲院:京都府京都市
・本能寺(三男・信孝が集めた遺骨を納める):京都府京都市
・妙心寺玉鳳院:京都府京都市
・建仁寺:京都府京都市
・聖隣寺:京都府亀岡市
・西光寺(信長の遺歯を納める):滋賀県近江八幡市
・摠見寺:滋賀県近江八幡市・安土城跡(
一周忌の後に秀吉が信長の太刀や烏帽子を納めた)
・長興寺:愛知県豊田市
・総見寺:愛知県名古屋市
・総見院:愛知県清須市
・南宋寺本源院:大阪府堺市
・金剛峯寺(1970年に供養塔が見つかる):和歌山伊都郡・高野山
・瑞龍寺(前田利長が信長父子の分骨を納めた):富山県高岡市
・西山本門寺(信長と懇意の囲碁名人・本因坊算砂が作らせた首塚):静岡県富士宮市
・崇福寺(信長、信忠父子の遺品を側室、お鍋の方が寺内に埋めた):岐阜県岐阜市
・三宝寺:山形県天童市
なぜこんなに沢山信長のお墓があるのでしょうか?
私が思うに、様々な理由で信長の往生を願う人がいて、
その人の数だけお墓が建てられたからではないのでしょうか。
信長の遺体の一部や遺品等を埋めたお墓や、中に写経を納めるなどして
供養・慰霊するための目的で造立された供養塔などが多く存在するため
お墓が全国に20ヶ所以上となったようです。
本物は阿弥陀寺?御朱印もある!
織田信長の本物のお墓は阿弥陀寺にある?
全国に20ヶ所以上のお墓がある織田信長。
本当のお墓はどれなのでしょうか?
「本能寺の変」で焼失した本能寺で
信長の遺体が見つからなかったと言われています。
このことから、遺体を埋葬したお墓があるのか
はっきりしていないため
本物のお墓がどこかわかっていません。
しかし、信長の遺体を埋葬したとする寺伝のあるお寺があります。
京都にある浄土宗 蓮台山惣見院阿弥陀寺
(れんだいさんそうけんいんあみだじ)です。
阿弥陀寺の寺伝によると
明智光秀(あけちみつひで)が謀反(むほん)を起こし、
本能寺に信長を襲ったと聞き、信長と清玉上人(せいぎょくしょうにん)は
20名ほどの僧侶を連れ、急いで本能寺に駆けつけましたが、
本能寺周辺は明智勢で囲まれ、近づくのは難しい状況でした。
清玉上人(せいぎょくしょうにん)は辺りをよく知っていたので、
裏にまわり、垣を破って境内に侵入しましたが、既に本能寺には火がかかり、
信長は自害したと聞かされます。
傍らを見ると、顔見知りの信長家臣10人ほどが墓地の後ろの藪に集まり、
木の葉をくべていたので、信長の安否を訪ねると
「信長様は『遺骸を敵に取られるな、首を敵に渡すな』との
ご遺言を残し切腹されました。
信長様をここで火葬し、その後我々もお供仕る覚悟です」との
返答だったそうです。
そこで清玉上人(せいぎょくしょうにん)は、
信長・信忠父子の遺体を火葬し、骨を取り集め、
衣に包んで阿弥陀寺に戻ったそうです。
その後、清玉上人(せいぎょくしょうにん)は密かに葬儀を行い、
骨を葬り、墓を建てたそうです。
1585年(天正13年)に豊臣秀吉の寺町造成に伴い現在地に移転しました。
阿弥陀寺には信長・信忠親子の墓の他にも森蘭丸の墓などもあるそうです。
阿弥陀寺の寺伝が事実であるかは証明されていないので、
本物のお墓が阿弥陀寺にあると断言することはできません。
しかし、清玉上人(せいぎょくしょうにん)の信長への
思いが伝わって来るような寺伝であり、
私としては寺伝のとおり
信長のご遺体は清玉上人(せいぎょくしょうにん)により火葬され、
遺骨が大切に運ばれ阿弥陀寺に埋葬されたと思いたい気がします。
信長の遺体が見つからなかったことがミステリアスな感じで
一層信長を魅力的なキャラクターにしている
気がするのは私だけでしょうか?
阿弥陀寺の御朱印
阿弥陀寺には御朱印が「阿弥陀如来」と「信長公本廟」の2種類あるあり、
代金は500円だそうです。
本能寺の変が起こった6月2日には、「信長忌」という法要がお勤めされ、
通常非公開の本堂が開かれ、信長・信忠の木像などが公開されます。
(※6月2日のみ拝観料:1,000円)
阿弥陀寺(あみだじ)へのアクセス、駐車場情報
住所:京都府京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14
アクセス:市バス「河原町今出川」下車徒歩約8分。
地下鉄烏丸線「今出川駅」下車徒歩約10分
車 名神「京都南」ICあるいは「京都東」ICから25~30分
駐車場:約20台あり(参拝用)
拝観料:境内は無料
6月2日のみ堂内拝観可 拝観料:1,000円
拝観時間:9:00~:16:00
いかがでしたか?
今日は織田信長のお墓のあるお寺について調べてみました。
それにしても、信長のお墓が全国20ヶ所以上もあるとは!!
私は初めて知りました。
信長のお墓巡りをして、当時の信長を慕っていた
人たちに思いをはせてみたいです。
NHK大河ドラマ「どうする家康」の登場人物に
由来のお寺の記事はこちらにもあります。
ぜひご覧ください。
お読みいただき、ありがとうございました。
南無阿弥陀仏
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