こんにちは!お寺ジェンヌです
6月に住職と一緒に京都へ行きました。
そして、念願の金閣寺に行ってきました!
金閣寺と言えば修学旅行を思い出します。
私が初めて京都を訪れたのは高校の修学旅行でした。
班別行動のときに金閣寺に行きたかったのですが、
なんと!残念なことに昭和の大改修の年で参拝できませんでした。
それから何度か京都を訪れる機会はありましたが、
金閣寺には行けずにいました。
観光ではなく研修や法要で本願寺に行くために京都へ行くのですが、
研修だと終了時間が17時近くなります。
その時間では金閣寺は閉まってしまいます。
(金閣寺の閉門時間は17時です。)
ちょとくらい時間あっても移動時間を考えると
間に合わないので諦めることが続き、
ずっと金閣寺とはご縁がありませんでした。
今回はほぼ観光目的だったので
念願の金閣寺に行ってきました。
そこで今日は金閣寺のことについて調べて見ました。
「金閣寺は寺じゃない!正式名称や建てた理由は?」について解説します!
金閣は寺じゃない!正式名称は?
金閣は寺じゃない?
金閣寺(きんかくじ)と一般的に呼ばれていますが、
実はこれは通称です。
金閣寺と聞いてみなさんが思い浮かべる金色の建物が「金閣」です。
「金閣」は舎利殿(しゃりでん:お釈迦さまの骨や遺灰を祀るお堂)で
この建物が印象深く有名なため「金閣寺(きんかくじ)」と呼ばれるようになったそうです。
だから寺というより寺の中の施設の1つなのです。
正式名称は?
金閣寺の正式名称は北山(ほくざん)鹿苑寺(ろくおんじ)です。
臨済宗相国寺派(りんざいしゅうしょうこくじは)の寺院で
京都市北区金閣寺町にあります。
前述のとおり寺の中心部にある金箔張りの
三層楼閣の舎利殿(しゃりでん)が「金閣」ですが、
この金閣が大変印象深く有名になり、
寺全体が金閣寺と呼ばれて一般に親しまれるようになりました。
門にも「鹿苑寺 通称 金閣寺」と書いてあります。
それだけ「金閣寺」という呼び方が「鹿苑寺(ろくおんじ)」よりも親しまれているんですね。
その証拠に鹿苑寺のある場所の地名は「金閣寺町」です。
地名になるほど人々に愛された建物が金閣なんだと私は思いました。
誰が建てた?
金閣寺を建てたのは室町(むろまち)幕府三代将軍
足利義満(あしかが よしみつ:1358年 – 1408年)です。
元は鎌倉時代の幕府とも親しい有力公卿(くぎょう)、西園寺公経(さいおんじ きんつね)の
別荘を譲り受け、山荘北山殿(きたやまどの)を造ったのが始まりとされています。
義満は征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)をやめた後、
金閣の建造に着手しました。
金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われています。
だから金箔で装飾したのかもしれません。
義満はそこを政治・外交の中心とし、文化の発展に貢献しました。
この時代の文化を北山文化といいます。
北山殿は義満の死後、義満の遺言によりお寺となりました。
夢窓国師(むそうこくし)を開山(かいさん:寺院を開く人)に迎え
義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺(ろくおんじ)と名づけられました。
足利義満は隠居生活に入ってもこんなきらびやかな建物を造り
文化を牽引する人だったのですね。
それだけ富が集中していたのだと想像しています。
建てられた理由は?
足利義満がこんなに絢爛豪華な金閣を造った理由はどんなことだったのでしょうか。
金閣は3層構造で
1層:寝殿造り(公家・貴族の住居によく使われた様式)で釈迦三尊を安置
2層:武家造りの観音殿
3層:中国風の禅宗様、仏舎利が納められた
このように建築様式が異なっていて、それぞれ仏像、仏舎利が納められました。
これは足利義満が権威を世に知らしめたいためだったという説があるようです。
1層目の寝殿造り(公家・貴族の住居)の上に武家造りの2層目を造ったことは
貴族よりも武家である自分が上だという表現
3層目に中国風の様式を置くことで足利義満が日本の最大権力者だと
表していると言われているようです。
確かに1層目は金箔が貼られていないので、公家や貴族を下に見ていたという説が
本当のように私には思えてしまいます。
もう一つ、自分が天下一だと示したかった証拠と思われる物があります。
金閣の屋根に鳳凰が羽根を広げています。
鳳凰は中国の神話では徳のある天子の世に現れるとされている鳥です。
これは徳の有る天子は自分だと言っている様なものなのです。
そんな風に思ってしまうほど足利義満は富も権力も欲しいままにしていたと
言うことなのだと想像しています。
いかがでしたか?
念願叶って初めて目にした金閣は金色に輝いていていました。
私が住職と一緒に訪れた日は快晴で、池に映る金閣と本物の金閣が美しく
青空に映えていました。
やはり金閣寺は京都を代表する観光スポットだし
日本の文化を伝える場所なのだと思い、感動しました。
数十年の思いが叶い、とてもよい思い出になりました。
お読みいただき、ありがとうございました。
南無阿弥陀仏
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