こんにちは!お寺ジェンヌです。
石原裕次郎さんプロフィール
1934年(昭和9年)12月28日
兵庫県神戸市生まれ
慶應義塾大学在学中に兄の石原慎太郎さんの
芥川賞受賞作「太陽の季節」で俳優デビュー。
慶應義塾大学を中退し日活へ入社します。
兄、慎太郎さん原作の「狂った果実」で主演を務め
日活の看板スターになります。
映画『嵐を呼ぶ男』など主演が作多数あり、
昭和の大スターになりました。
1960年1月、北原三枝さんとの交際を認めない日活に
抗議の意味もありアメリカへ婚前旅行に出かけたそうです。
そして12月に日活ホテルで結婚式を挙げます。
1963年に石原プロモーションを設立。
映画『太平洋ひとりぼっち』『黒部の太陽』など大ヒットさせました。
しかし、1970年に制作した『ある兵士の賭け』が興行的に失敗。
石原プロが倒産の危機に陥ることになります。
1971年に渡哲也さんが石原プロモーションに入社。
1972年テレビドラマ『太陽にほえろ!』でボスとしてお茶の間の人気となります。
1976年から大都会、西部警察などド派手なアクションの刑事ドラマで活躍。
しかし、1981年に解離性大動脈瑠で大手術を受けます。
奇跡的な回復を遂げ、『太陽にほえろ!』の最終回に出演されました。
1984年に肝臓がんが発覚。
1982年7月17日に死去されました。
余談ですが、渡哲也さんも12月28日生まれだそうです!
今年、2024年は生誕90周年!
ご存命であれば90歳なんですね。
裕次郎さん、お浄土へ行かれるのが早すぎです。
それにしても、お亡くなりになったのが52歳だなんて!
私よりお若い時にあの貫禄。
大スターだったんだって思いました!
石原裕次郎さんのお墓がある總持寺ってどんなお寺?
總持寺(そうじじ)の基本情報
宗旨:曹洞宗(そうとうしゅう)
宗派:本門流( ほんもんりゅう)
寺格:大本山
山号: 諸嶽山(しょがくさん)
開創 : 瑩山禅師(けいざんぜんじ)
本尊:釈迦如来(しゃかにょらい)
寺紋:五七桐紋(五七桐もん)
總持寺ってどんなお寺
永平寺(えいへいじ)と並ぶ日本曹洞宗の中心寺院です。
總持寺の前身は能登半島にあった
真言律宗(しんごんりっしゅう)の
教院「諸嶽観音堂(もろたけかんのんどう)」だそうです。
1321年(元亨元年)曹洞宗4世の瑩山紹瑾(けいざん じょうきん)は、
諸嶽観音堂の住職の定賢(じょうけん)から諸嶽観音堂に入院を請われました。
同年に瑩山紹瑾(けいざん じょうきん)は、
定賢(じょうけん)から「諸嶽観音堂」を寄進されました。
その際に寺号を「總持寺(そうじじ)」、
山号を「諸嶽観音堂」にちなみ「諸嶽山しょがくさん)」と改名して
禅院としました。
1322年(元亨2年)後醍醐(ごだいご)天皇より
「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨(りんじ ※1)を受け、
官寺(かんじ ※2)、大本山となり、曹洞宗を公称したそうです。
※1 綸旨(りんじ: 蔵人(くろうど:天皇の側近)が天皇の意向を奉じて作成した文書
※2 官寺(かんじ:国家の監督を受ける代わりに国家より経済的保障を与えられた寺院)
住職は普蔵院、妙高庵、洞川庵、伝法庵、如意庵の5つの塔頭(たっちゅう)から
の輪番制(りんばん:まわりじゅん)となりました。
そして永平寺とどちらが曹洞宗の本山か争いが起こったそうです。
1615年(元和元年)江戸幕府の裁定により、
永平寺と並んで曹洞宗の大本山となったそうです。
1898年(明治31年)に火災で多くの伽藍(がらん)を
焼失をしたことを機に1911年(明治44年)に横浜市に移転しました。
もともとあった石川県の場所は總持寺祖院となったそうです。
長い歴史があると、いろいろなことがありますね。
うちの宗派の本願寺も東西に分れていますが、
曹洞宗も本山争いがあったのですね。
また、火災があったとは言えまった別の土地に
お寺を移転ということも驚きました。
もともとの場所も大切に思ってくださる方がいるからです。
でも「祖院」として大切に護持さています。
石川県の總持寺祖院は2007年の地震被害に遭いましたが
14年書けて復興したところでした。
しかし、2024年1月1日の能登半島地震で再び大きな被害がありました。
関係者のみなさまのことを思うと私も辛いです。
時間はかかると思いますが、早く復興されることを願っています。
太祖瑩山紹瑾禅師700回大遠忌
總持寺は令和6年4月に太祖瑩山紹瑾禅師700回大遠忌がお勤めされるそうです。
大遠忌にお参りできる機会は少ないので、ぜひお参りしてみてはいかがでしょうか。
太祖瑩山紹瑾禅師700回大遠忌
本法要:令和6年4月1日(月)~21日(日) 21日間
慶讃法要:令和6年5月27日(月)~6月2日(日) 7日間
令和6年10月9日(水)~15日(火) 7日間
※10月12日(土)~15日(火)御両尊御征忌会併修
石原裕次郎さんはなぜ總持寺にある?
石原裕次郎さんのお墓は、なぜ總持寺に建てられたのでしょうか?
石原家の墓は逗子にある海宝院(かいほうい)にあるそうです。
だから本来であればこちらに作られたのではないかと思います。
では、なぜ總持寺に作られたのでしょうか?
石原裕次郎さんが主演した映画に「陽のあたる坂道」(1958年公開)があります。
この映画の撮影場所の一つが鶴見の総持寺の上の方(東寺尾方面)だったそうです。
当時はその付近から海がよく見えたそうで、裕次郎さんが気に入られてそうです。
撮影現場に近いので撮影の合間に訪れた総持寺も気に入り、
「自分の墓はここがいい」とおっしゃったのだそうです。
裕次郎さんがお亡くなりになり、お墓をどうするということになり
スタッフの方がこの話を思い出し、總持寺にお墓が建てられてそうです。
以来、總持寺と石原プロモーションとの関係が始まり
總持寺の節分の豆まきに神田正輝さんや舘ひろしさんなど
石原プロモーションの俳優さんが参加されていました。
個人的にはとてもうらやましい!!と思っていました。
總持寺の御朱印は?アクセス情報も
御朱印
總持寺は御朱印をいただくことができます。
太祖瑩山禅師700回大遠忌限定の御朱印も別に用意されているようです。
御朱印の受付は「香積台(こうしゃくだい)」の総合受付へ。
受付時間:10:00~16:00
詳しくは公式サイトをご確認ください。
御朱印帳もあるようです。
總持寺へのアクセス
住所
神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1
電車の方
JR京浜東北線「鶴見駅」西口より徒歩 約5分
京浜急行線「京急鶴見駅」より徒歩 約7分
京浜急行線「花月総持寺駅」より徒歩 約7分
お車の方
東京方面より:首都高速横羽線 汐入ICから国道15号線方面へ
横浜方面より:首都高速横羽線 生麦ICから国道15号線川崎方面に 約10分
駐車場もあります。
いかがでしたか?
石原裕次郎さんのお墓のある總持寺について調べてみました。
海のお好きな裕次郎さんの願いをスタッフの方が叶えて
總持寺にお墓を建てられたのですね。
奥様の石原まきこさんやスタッフの方々が
裕次郎さんを大好きで大切に思っていらっしゃったのだろうと
想像しました。
私もぜひ訪れてみたいと思いました。
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お読みいただき、ありがとうございました。
南無阿弥陀仏
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